ある和尚さまから聞いた話とちょっと違うぞ!

「中国の黄檗希運禅師の亡母への引導の故事」

中国において葬儀の際に引導を渡すしきたりは、唐代の百丈懐海禅師(七二四〜八一四)の頃から禅僧が行うよ うになりました。特に下火(たいまつ)を以て行うのは、黄檗希運禅師(?〜八五〇)が溺死した母に引導を渡した という故事によると言われております。 『伝灯録』によると、黄檗希運禅師は百丈懐海禅師の会下で開悟するまでの二十年間、情にひかれるのを避け るため、故郷の母に安否を知らせませんでした。母は我が子希運の安否を何としても知りたい、会いたいという 一心で、福清渡という河の渡し場で旅籠屋を始めました。そして行脚僧には無賃で宿を提供し、旅人の足を洗っ てやったのです。というのは、目の悪かった母は足を洗う時、希運の足にあった大きなコブ(一説にあはあざ)を 手ががりに、我が子を見つけるつもりだったのです。 二十年程修行をして、百丈のもとで得悟した希運は故郷に至り、なつかしい母に会いました。けれども、こぶ のない片足を二度出して洗ってもらい、名も告げず旅籠を後にしました。後で我が子が希運であったことを知っ た母は、驚きあわてて希運を追いかけました。すると目の悪かった母は誤って河に落ち、悲しいことに溺死して しまいました。 それを知った黄檗希運禅師も母を探し、舟の上から、 「一子出家すれば九族天に生ず、若し生天せずんば諸仏を妄言す」 と言い、さらに、 「我が母多年自心に迷う。如今華開く菩提林。当来山会、若し相い値はば、帰命する大悲観世音」 と偈を唱え、一喝して炬火(たいまつ)を河中に投じたのです。 すると母は火中に身を現わし、男子と変じてたいまつの明りに乗って天に登っていきました。この劇的な黄檗 引導の故事から、この渡し場を「福清渡」の名を改めて、「大義渡」にしたと言われています。 この悲しいながら感動的な黄檗希運禅師の一喝から、禅宗では引導を渡し、「喝」や「露」のような一字関と 呼ばれる一語を発することが行われるようになったと言われます。


「一字関」
お葬式の時に、和尚様が引導を渡すとき気合を入れた言葉を発する。
「喝」は、励まし叱咤する。
「露」は、この通り明らかではないか。
「いい」は、笑う意、おもしろいぞ。
と、いう意味らしい。
「いい」は何度か聞いたことがある。
旅立っていく人に、「おもしろいぞ!」って言ってたのか!?知らなかった!


なんだか俺も、その言葉で送り出されたいぞ!